1.18歳に選挙権が引き下がるまでは「主権者教育」をしていなかったの?
2015年に選挙権年齢が18歳に引き下がったとき「主権者教育が必要だ!」ということが総務省や文科省、メディアから大きく宣伝されました。
同時に主権者教育に関する副読本が総務省から全国の学校に配布されたのですが、混乱した学校も多くありました。
特に「流行った」のは模擬選挙ですが、「主権者教育=模擬選挙」ではありません。
では、18歳に選挙権が引き下がるまで「主権者教育」は全く行われなかったのでしょうか?
結論から言うとそうではありません。
たしかに今ほど模擬選挙はされていませんでしたが、主権者(市民)を育成することを目指した教育、特に社会科教育をしようと試みていた先生は各地にいました。
(もちろん、そうでなかった先生も多くいます)
今回は「社会科教育の変化」だけでなく「学校教育の変化」と「社会の変化」にも注目しながら、主権者教育の歴史を紹介します。
(自分がいろいろな記事や論文を読み漁ってまとめたものなので間違えていたら教えてください・・・)
2.明治~第二次世界大戦
明治時代になって学制が発布された最初の年は欧米の教科書の翻訳本を使っていたから結構民主主義的なことも教えていたらしいのですが、すぐ次の年、儒教主義的な教科書に代わり、民主主義的な価値観から離れた考え方が教えられるようになりました。
公民系の教科が初めてできたのは明治期から大正期にかけてのころです。
そして認識形成だけでなく資質育成も目標とされるようになったのは普通選挙法(25歳以上のすべての男子が選挙権をもつ)のあと。
選挙に行ける人が増えた後にこのような教育が求められるようになるのは今も昔も変わらないということでしょうか。
しかし1943年、公民科はなくなり、「修身科」(現在の道徳のようなもの、国のために尽くしなさいというようなことを教えた)に吸収されてしまいます。
市民を育てる公民科は市民社会にとって大事な科目ではあるのですが、公教育の中にある限り、国家の思惑に左右されやすい教科だとも言えるでしょう。
3.第二次世界大戦後~1990年代
戦後、知識を系統的に教え込むような教育ではなく、子どもの経験を重視するような教育になります。
しかしそのような教育では何を学んだのかわかりにくいと批判され、知識をきちんと教える教育(悪く言えば詰め込み教育のようなイメージ)になります。
「主権者教育」という言葉を最初に論じたのは永山健一だと言われています。憲法理念(教育を受ける権利など)に基づく、教育法理念を主張していました。
4.学校教育と政治を遠ざけようとしてきた3つの法律
なぜ学校で政治について話すことがタブー視されてきたのか?
その理由は3つの法律・通達にあります。
この1969年の通達は2015年に廃止されます。
文科省は18歳以上の学生の政治的活動を限定的に認め、新しい通知では、「今回の法改正により、18歳以上の高等学校等の生徒は、有権者として選挙権を有し、また、選挙運動を行うことなどが認められることとなる」としました。
しかし、「高等学校等の生徒による政治的活動等は、無制限に認められるものではなく、必要かつ合理的な範囲内で制約を受けるものと解される」ということも書かれたものになっています。
≪参考≫
高校生の政治的活動への参加を萎縮させてはならない | 時事オピニオン | 情報・知識&オピニオン imidas – イミダス
5.ゆとり教育以降の学校と主権者教育
人間性を重視したゆとり教育が導入されたとき、高校に「現代社会」という名前の科目ができました。これはただ政治経済の知識を学ぶのではなく、現代社会の課題を解決するような総合的な力が求められる教科でした。
(しかし結果的に「中3社会科公民分野」と「政治・経済」の間みたいな内容のものになったりしました)
それまで民間教育団体(日教組や地域の社会科教師による勉強会など)で平和教育や民主主義教育についての研究が盛んにされていたのですが、様々な理由からそのような団体が衰退。
そうすると国家が主権者教育を推進するようになります。
2006年にシティズンシップ教育の必要性を言い出したのは文科省でも総務省(選挙管理委員会がある)でもなく、経済産業省でした。
2015年に選挙権年齢が18歳に。
ここで挙げられている理由の他には「当時の若者の自民党の支持率が高かったから?」「成人年齢を引き下げることで18歳にも年金を払ってもらおうとしたのでは?」など言われています。
2017年、「現代社会」に代わって新しい科目「公共」が高校必修科目として設置されることに決まりました。
どんな内容の教科書が出るのか楽しみです。
6.主権者教育の課題
ここまで主権者教育の歴史を振り返ってみていかがだったでしょうか。
大事なことは「主権者教育」は国家の都合に左右されやすい、ということです。
私自身は社会にとっても個人にとっても主権者教育が大事だと思っている立場ですが、「国の方針に従い、国に協力する人を増やす教育」にはならないようにする必要があると思います。
そして、「主権者教育」という言葉を使わなくても、どの時代でも学校は市民としての子どもを育てる場所です。
社会科の先生に限らず、すべての先生が「市民を育てるための学校」という共通認識を持てるように、教育のねらいを議論できるような時間があればいいな…とおもうのですが、学校の先生は忙しい。
それが一番の問題だと思っています。
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