そもそもESDとは?
ESDとはイメージしやすいように簡単に言うとSDGs教育みたいなものなのですが、これは正確な説明ではありません。
SDGsよりももっと長期的な視点で持続可能な社会を目指す教育です。単にSDGsを教える学習、というわけではありません。
大きな理念は3つ。
1.自己と社会を変える学びを目指す
2.持続可能な社会の創造を担う人・力を育む
3.持続不可能な社会を生み出しているシステム構造の変容を目指す
ゴミ拾いや地域文化継承、貧困問題や防災など、テーマも方法(学校の授業のなかでの学び、公民館での学びなど)も結構「なんでもあり」な学びです。
本当にESDは「なんでもあり」なの?
すでに様々な学校や地域で実践されている活動は多くあり、あれもこれもESD(持続可能な社会のために自己と社会の変容を目指す学び)じゃん、と思いがちですが、そうではありません。
ESDの理念の柱になっている哲学者パウロ・フレイレは「実践者自身、望む社会像を強く持っていることが重要」「安易に実践されがちな、学習者のどんな答えも許されるような参加型学習とは違う」と述べています。
(成玖美(2011)「フレイレ教育論と生涯学習研究―教育と政治性のあいだにある争点―」)
ESDが「なんでもあり」ならESDじゃなくてもよくない?
とは言っても「ESDがなんでもありなら、ESDじゃなくてもよくない?」と思ってしまうかもしれません。
しかし、長い視点で・深く考えて社会を変えていくことを目指すことがESDの大きな特徴です。
また、変化の激しい現代、これまでの計画通りでは問題解決ができません。
自分たちが住んでいる複雑な世界を理解できるようになるために、ポジティブな変化のために協働し、発言し、行動する必要があります。(UNESCO,2015)
とは言え、ESDの理念が抽象的すぎてよくわからず、浸透してこなかった現状があります。SDGs教育の方がよっぽどわかりやすく、取り組みやすいのではないでしょうか。
重要なのは、それぞれの学びをESDの視点から見直してみること
今から「ESDをはじめよう!」と言う必要はないと思っています。
「地域おこし」「国際理解学習」「主権者教育」など様々な名前で、既に様々な学校や地域で似たようなことが実践されてきている・新しく実践がスタートされようとしているからです。
そのような実践をよりよくするために、ESDの視点(具体的には「これは自分と社会の変容につながるか?」「この活動そのものは持続可能か?」など)を取り入れることが重要なのではないでしょうか。
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