【書評】「意識高い系」の研究

大学院生生活

私は大学に入って一部の集団に強烈な違和感と言おうか嫌悪感を覚えました。

いわゆる「意識高い系」です。

「意識高い系」の定義

常見陽平による「意識高い系」の定義は

① やたらと学生団体を立ち上げようとする
② やたらとプロフィールを盛る
③ すべては自己アピール。質問が長い
④ ソーシャルメディアで意識の高い発言を連発
⑤ 人脈をやたらと自慢、そして利用する
⑥ やたらと前のめりの学生生活を送る
⑦人を見下す

この本の著者である古谷は以下の項目を補足しています。

① 土地に土着していない(子ども時代地元になじめなかった)
②その土地を両親などから相続していない
③スクールカーストでは第二級に所属していた
④承認経験が乏しいために、必要以上に他者へのアピールを必要とする
⑤自己評価が不当に高い

私は「意識高い系」か?

「意識高い系」は私と本当によく似ているし私自身半分くらいその種類の人間であることは否定できません。 (あえて極端な言い方をしますが)私は意識が高い人間なのです。

小学校5年生の時は地球温暖化に問題意識を持ち研究チームなるものを結成したし(写真は当時の様子)、中学に上がるころには教育と心理学の専門家になると東京学芸大学A類学校心理を目指すとすでに決めており(途中で政治学を学びたくなりA類社会に志望を変える)、大学では「若者と政治のキョリを近づける」なんて意識が高そうな活動を3年続けていました。

しかし似ているからこそ許せなかったのです。

苦手な理由はいくつかありますが私の「意識高い系」の定義は

① 考えてることが抽象的であほっぽい
②言葉の表現がオーバーで抽象的であほっぽい
③やっていることが自己満足であほっぽい

最後に

この本はただ「なんかむかつくやつ」を批判するだけでなく、なぜむかつくのか、その「むかつくやつ」の裏には何が隠れているのか(それは歪んだ自己肯定感だった)を見事に論じています。 私自身、意識が高くなってしまう人間であることは仕方ありません。

意識だけ高く自己アピールにいそしみ中身のないものを生産し続けるだけの人間、にならないように自戒をこめて。

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学生団体に入るべきではない理由100パターン | モッケイエンタテイメント

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