『〈私〉時代のデモクラシー』を読んで考えた教育観

主権者教育

今回は、『〈私〉時代のデモクラシー』(宇野重規、2010)をもとに私が整理し直した社会科授業の理念と、学級経営の理念を書きたいと思います。

本書は今から10年以上前の時代(民主党政権)に書かれた本ですが、私がこれまでなんとなく考えていたようなことがはっきりと理論的に書かれている本でした。

あるべき民主的社会について述べられているのですが、この「デモクラシー」への考え方こそが、私が教師になりたいと思う理由なのです。

社会科の授業で伝えたいこと

私が社会科の授業で伝えたいことは3つあります。

①〈私〉自身の人生のために社会の問題を考える必要があること

本書の重要な主張のうちのひとつは

「〈私〉は、〈私〉の実現のためにも社会を必要とする」(p.184)

です。

私が私の生きたいように、私らしさを保ったままで生きる権利は皆に平等にあります。(第2章 2「自分自身である権利」)

例えば、皆さんは充実した学校生活のために入りたい部活動を選ぶことができるし、どの部活動にも入らないという選択をすることもできます。

しかし、私という存在が社会に尊重されている、社会に必要とされている、と感じにくい人もいると思います。しかし、だからといって、社会の影響を受けない人はいないのだから、社会なんて政治なんてどうでもいいというわけにはいきません。

例えば、練習が多くて厳しい吹奏楽部に入ったけど休日も休みがなくていやだ、と思っている人がいるとします。「その部活動を選んだ私が悪いんだ」と自分のせいだと思うかもしれません。

でも、つらい思いをしている原因は部活動のチームはもちろん、学校、地域、日本という社会の歴史やルール、雰囲気(規範)が大きく関わっています。

皆さんも知っているかもしれませんが、日本全体で部活動のルールや、部活動に対する考え方が大きく見直されようとしています。

とはいえ、「〈私〉のために社会を考えるなんて、自己中心的ではないか」と思う人もいるかもしれません。

そのような考えに対して本書は

「〈私〉を尊重することは、必ずしも他者の軽視につながるとは限らない。」(p.163)

「むしろ、エゴイズムは〈私〉が十分に尊重されず、むしろ他者への不信が募るがゆえのものかもしれません。というのも、他者や社会への不信こそが一般的な環境においては、個人は自らを守るために、あえてエゴイスティックな行動に出ざるを得ないからです。」(p.163)

と答えています。

〈私〉自身のために社会を考えることはとても大事なことなのです。

②民主主義社会では、どんな社会に生きたいかみんなが考えることができること

「デモクラシーとはそもそも「答えのない」状況において、それでも社会的な意味をたえざる議論と論争を通じて創出していくプロセスだったのです」(p.174)

と、書かれているように、今の社会において正解は一つではありません。休日も部活動をしたいと思う人もいれば、休日は部活動以外のことがしたいと思う人もいると思います。それはひとつの吹奏楽部のなかでもいろんな意見があると思うし、日本全体でもいろんな意見があります。

でも、声に出して言わない限りは、本当は答えがないのに、過去に決まったルールや、偉い人が決めたルールが答えとして残り続けますよね。

「一人ひとりが真に自らの〈私〉と向き合うこと、その上で、〈私〉に立脚して声をあげることこそが、デモクラシーの機能を活性化させるうえで不可欠であるということにほかなりません。」(p.193)

「人々がものごとを決めるにあたって、絶対的な価値基準やモデルとすべき人やものはなくなり、すべてを〈私〉が決めなければなりません。」(pp.ⅶ-ⅷ)

と、書かれているように、「この部活動では練習は週に7回だと決まっているけど、私は本当にそれでいいかな?」とか、「私は異性愛者だけど、だからといって同性婚しか認められない社会でも私はいいのかな?」とか(同性婚の事例を出しましたが、同性婚は認めるべきだという主張ではありません)、自分と向き合い、自分の意見を持ち、声をあげることが民主的な社会のために求められています。(とは言っても、実際に声をあげることは簡単なことではありません。自分の意見を持つだけでも、とても大事なことです)

「〈私〉の意識から出発した異議申し立てが、少しずつではあれ社会を変えて行く原動力となることを承認し、そのために他者による異議申し立てに対する耳をすますこと。このことがやがては自分自身の境遇の改善へとつながっていき、再び、歴史の進歩や発展を語ることを可能にしていくのではないでしょうか。」(p.190)

③社会の問題は一人では解決できないが、連帯することができること

近代以前は生まれによって生き方や考え方が決められていましたが、現代は自分で選択することができます。

しかし、自分で自由に生き方や考え方を選択できることはよいことばかりではありません。

福祉国家になり自分の人生を自分で決められるようになったからこそ、

「かつてであれば「階級の運命」として受け止められていたものが、いまや個人の人生における問題とし現れる」(p.56)

と書かれているように、〈私〉が人生を選択できるようになったように見えるけど、生まれの格差はまだ強固に残っているし、〈私〉だけでは何もできないのです。

しかし、

「現代のいわゆる「格差社会論」において難しいのは、現代社会において格差が拡大しているといわれれば、たしかに一人ひとり思い当たるものがあるとしても、それではさて、格差を是正するために社会的な力を団結していけるかというと、とたんに方向性が見えなくなってしまうことにあります。」(p.89)

「いわば、現代の不満は私事化され、社会の共通問題として政治の場において焦点化されにくくなっており、さらに不安や不満を強める悪循環に陥っているのです。」(p.89)

とも述べられているように、現代は連帯しにくい社会なのです

「しかしながら、本書では、あえて主張したいと思います。デモクラシーは「正しい答え」が見つからないからこそ必要なのだ、と。」(p.ⅺ)

連帯のためにできることはアゴラを育てることだと筆者は述べます。アゴラとはなんでしょう?

ジーグムント・バウマンは『政治を求めて』という本の中で、古代ギリシアにおいてエクレシア(公的領域)とオイコス(私的領域)とアゴラ(広場)(私的領域/公的領域)が存在していたことを紹介しています(pp.99-102)。

アゴラは緊張や綱引きをしながら、同時に、対話・協調・妥協する場であり、このアゴラが政治の活性化にかかせないのですが、現代の日本はこのアゴラの機能が低下していると筆者は述べます。

社会科の授業では、答えがひとつでない社会の問題についてみんなで考え、協調・妥協するアゴラを育てたいと思っています。

学級経営で伝えたいこと

しかしこの『〈私〉時代のデモクラシー』が示唆を与えてくれるのは社会科授業だけではありません。学級経営にも生かすことができそうです。

私が学級経営で一番大事にしたいことは、全員の人権を守ることです。

クラスメイトの人権というのは「学校に行く権利」「授業を受ける権利」「心や体や持ち物を傷つけられない権利」などです。

4月の初めに、どんなことをされたら嫌か、意見を出し合って、「最低限それはしないようにしよう」というものを決めることも大事だなと思っています。

このような考えの根拠となっている考えは2つあります。

①一人ひとりの存在を大切にする

「社会」と聞くと学校の外の地域や国のことをイメージする人もいるかもしれませんが、教室もひとつの小さな社会です。

ひとつの社会なのでもめ事も起こるし、ルールも必要になります。

ブルデューは、社会が人間に存在理由を与える役割があるため、人間にとって社会のもつ権力は大きいと述べましたが(p.142) 、教室のなかで自分がどのような立ち位置でどのような自分で生きていくか、自分の存在がどのように扱われるか、ということは生徒一人ひとりにとって大事なことになると思います。

「社会が自分をリスペクトしてくれないなら、自分も社会をリスペクトしない。自分へのリスペクトを期待できないなら、不当にリスペクトを享受している社会の「勝ち組」を引きずり下ろしたい。このような思いがいまの社会の根底にあるのなら、「社会」とは何なのかリアリティをもって感じられなくなり、結果としてデモクラシーの機能不全が起きても何ら不思議ではありません。」(p.159)

と本書にも書かれているように、全員の人権が守られる民主的な教室にするためには、一人ひとりの存在が大切にされている実感が持てるようにすることが必要なのです。

「〈私〉が〈私〉であるためにこそ、デモクラシーが必要。」(p.178)

②話し合いのプロセスを大事にする

一人ひとりの存在が大切にされている実感が持てるように、そして、「答えのない」状況でよりよい教室を民主的につくるためには、話し合いのプロセスが重要になります。

「デモクラシーとはそもそも「答えのない」状況において、それでも社会的な意味をたえざる議論と論争を通じて創出していくプロセスだったのです」(p.174)

「デモクラシーのプロセスは、一人ひとりの個人や集団が、決定過程に当事者として参加し、自ら納得していくプロセスである。そして、このような場自体をつくりだすのもデモクラシーの任務である。」(p.176-177)

「デモクラシーが実現する場合、それ以前は相互に信頼感や連帯感のなかった人々が、決定のプロセスを共有することで相互の信頼感や連帯感を抱くことがあります。デモクラシーの真骨頂は、互いに場を共有するどころかもともとは殺し合いさえしかねなかった人々に、とりあえずは殺し合うよりも話し合う方を選ばせ、取引し合ったり、場合によっては協力し合ってもいいと思わせることにあります。」(p.177)

民主的に話し合う時間を作ることはそもそも時間がかかるし、うまくまとまらないことも多いと思います。

それでも、小さな雑談から、社会の論争的な問題、クラスの重要な問題など、いろんなテーマについてチャンスを見つけてはまずは話し合ってみる機会を意図的に作りたいな、と思っています。

もちろんこれらは超理想で、現実にはうまくいかないと思うし、抽象的な考えなのでこれからどのように実現させていくかということは別の問題なのですが、自分のなかの理想や価値観は言語化しておきたいなと思ったのでまとめました。

この本、他にもここで紹介しきれなかったおもしろい考え方が多く載っているのでぜひ読んでみてください!

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