「自己責任」を盾に「教育課程からの排除」を正当化する学校の現実

主権者教育

タイトルの言葉は、『公教育としての学校を問い直す』(日本教育方法学会議、2020年)の本の引用です。

この本を読んで思ったのは、学校はとても窮屈な空間だということ。

第Ⅰ部の第4節「なぜ理由もなく学校に行けないのか」で衝撃的だったのは、学校に行きたくない理由を「自分でもよくわからない」と答えている生徒は(おそらく不登校・不登校傾向の生徒全体の)44.0%(日本財団調べ)にも及ぶのに、「特に理由がなくても学校に行きたくない場合学校は無理に行かなくてもよい」という考えに賛成した大学生は15.3%しかいなかったことです。

(「いじめなどつらいことがある場合学校は無理に行かなくてもよい」という考えを肯定する学生は73.9%いました)

(どんな属性の学生にとったアンケートなのか気になります。学校が好きな教育学部生かな?)

いじめとか、成績不振とか、そういうわかりやすい要因がなくても、画一的な教育が行われ、同調性や競争性が重視される学校に行くことが難しい児童生徒は多くいるのです。

第Ⅱ部第3節「「子どもの貧困」と向き合う学校を」でも、児童生徒の「荒れ」の背景を把握していないことへの問題点が指摘されています。

「問題行動」を繰り返し表出させているような子どもは、競争と管理のシステムが貫徹する学校空間においては容易に排除の対象になる。

こうして、「問題行動」を繰り返すのは本人の「自己責任」であり、周囲の子どもや学級集団から切り離し、厳しく対応するのは当然だ、という了解が成立する。

「特別な理由がないなら学校を休むべきでない」「問題行動を起こさずに学校で生活すべきだ」というのはまっとうなことを言っているように見えて、実は強者の論理では?と、この本を読みながら思いました。

他にも「コロナ」「ICT」「小規模校」など、様々な観点から、これまで日本の学校教育が見落としてきた視点を与えてくれる、おすすめの本です。

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