なぜ教育のねらいについて語ること「エイムトーク」が重要なのか?

主権者教育

教師はゲートキーパーである

日本には学習指導要領で何を教えるか決められているため、カリキュラムを大幅に変更することはできません。

かといって、教師は標準化されたカリキュラムを疑いなく伝達するだけの存在だというわけでもありません。

どの教員も、学習指導要領や教科書だけを読んで授業の内容や方法を決めているわけではありません。学問的研究成果や学校をとりまく文脈、子どもの実態、自分の教育への考え方などを調整(ゲートキーピング)し、教師は授業の目標や内容、方法を選択しています。

北田佳子(2014)は「教師の専門性とは、決して単に専門的知識や技能を数多く獲得することにあるのではなく、その知識や技能が、いったい誰のために、何のために生かされるべきなのかという、明確な『ビジョン』と強い『動機』と結びつき機能するなかにこそ見出される」と指摘しています。

教師の教育観の成長、確立が重要なんですね。

学校現場でエイムトーク(ねらいについての議論)をすることは難しい?

しかし、学校現場でエイムトークをすることは難しいとされています。

「そもそも歴史ってなんのために学ぶの?」「この学校行事ってなんのためにあるの?」などという根源的なことから議論すると、これまで自明視されてきた学校文化や常識への挑戦となります。

多くの学校現場は「波風を立てるべきではない」という保守的な文化を持っており、若い教員が「歴史を教える意義を考え直しましょうよ」と言っても否定され孤立してしまうこともあるかもしれません。

そもそも日々の業務に追われ、そんなことを議論する余裕がない学校も多いと思います。

しかし、一人の教員が授業や行事のねらいを考えて改革するだけでは十分な改革にはならないですよね。

教師によって考える「ねらい」が違うからこそ、エイムトークができる職員室にすべきなのではないでしょうか。

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