【書評】マックス・ウェーバー著『仕事としての学問 仕事としての政治』を読んで

主権者教育

マックス・ウェーバー著、野口雅弘訳(2018年)『仕事としての学問 仕事としての政治』(講談社学術文庫)を読んで学んだこと、考えたことをまとめます。

政治家の名誉とは

マックス・ウェーバーは「リーダーシップをとる政治家の名誉とは、自分がすることに対して、もっぱら責任をとること」と述べています。

政治が及ぼす行為(例えば税金を徴収すること)はかならず誰かを犠牲にする現実がありますよね。そういった現実に向き合うこと、つまり「悪魔的な力と関係を結ぶ」ことへの責任感が政治家に求められます。

行為は宗教や正義感による「信条倫理」的に方向付けられることもありますが、予見しうる結果の責任を負うべきだとする「責任倫理」的に方向付けられることもあります。

政治家は自分の正義に基づいた行為だけでなく、責任倫理的な思考も行い、行動するべきであるのです。

学校教育での活用

マックス・ウェーバーの理論を主権者教育において活用するなら、この「信条倫理」と「責任倫理」の考え方だと思います。

マックス・ウェーバーが演説を行った1919年は現在ほど民主主義的な政治体制ではありませんでしたが、現代の日本では18歳以上の日本国籍を所有する人は選挙に参加する権利があります。

義務教育での政治教育の目的は、一人ひとりが主権者として社会を担える資質を養うことです。

中学校社会科新学習指導要領でも「グローバル化する国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家及び社会の形成者」を育成することが社会科の目的とされていますね。

では使命ある主権者を育成するためにはどのような教育が必要なのでしょうか。

例えば、日本では戦後、二度と戦争を繰り返さないよう、平和教育に力が入れられてきました。しかし、池野範男「学校における平和教育の課題と展望―原爆教材を事例として―」(2009)では、平和教育の問題点が3つ挙げられています。

一点目は、心情、情緒に依存し、合理的理解に欠けていること、二点目は、特定の認識、価値観、生き方だけに囚われ、他を排除すること、三点目は、平和を希求することは戦争を無くすことだという極めて短絡的な学習に陥っていることです。

このように、「平和は大事」といった正義感を教え込むと「信条倫理」のみに偏ってしまいます。権力者の決断がどのような影響を与えたのか、今の政策がどのような結果を生むか、具体的に考えさせることで「責任倫理」についても考えさせることが必要です。

また、政治教育の中で学ばせるだけでなく、実際に学校や行事の運営を生徒主体で行わせ、「信条倫理」と「責任倫理」の実践をさせることも有効であるのではないでしょうか。

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