私が教師になりたい理由

大学院生生活

私は中学校社会科教師になりたいと考えています。

なぜ超ブラックで過労死する可能性のある職をわざわざ選ぼうとしているのでしょうか?

一言で言うと「子どもを自由にしたい」からです。
それは教師、それも公立学校の教師でしかできないのではないかと思っています。

具体的に、3点説明します。

「自信のなさ」から自由にしたい

まず「(自己理解できていないことによる)自信のなさ」から自由にしたいと思っています。

私は、人の行動力の根源にあるのは、自分のことをどのようにとらえていて、どのように認めているか、という「自信の持ち方」であると考えています。

「頑張ればなんとかなる」という根拠のない自信があればもちろんいいのですが、そう思えない子に対しては自己分析・自己理解を促し、「自分はここでなら頑張れる」という自己理解に基づく自信を養わせられるような教師になりたいと思っています。

「社会階層」から自由にしたい

そして「社会階層」から自由にしたいと思っています。

日本は(一応)公平な受験システムによって学歴が決まります。
それゆえに努力次第で社会階層を超えられるというある種自己責任論が成り立ってしまう現状があります。

しかし、地域や生まれた家庭の文化によって、勉強することに対する意識や、言語文化から違っており、社会階層を超えることは実は簡単ではありません。

社会階層で決まるのは進学先だけではありません。
同じように学校で授業を受けていても、どうしても家庭が違うとわからない文化や価値観があります。

どんな家庭でも(例えば家でニュースを見る習慣がない子でも)可能な限り多様な価値観に触れたり、質の高い教育を受けたりできるように(政治の話題を学校で理解し話せるように)、子ども自身が社会階層・自分の生きている社会を超えることを意識した公教育にしたいと思っています。

「自己責任論」から自由にしたい

そして「自己責任論」から自由にしたいと思っています。

前段では質の高い公教育で生徒の選択肢を自由にしたいと書きましたが、同時に、社会を変革する能力を育成することで、自己責任論から自由にしたいと思っています。

例えば、区の防災課に「防災について政策提言する授業作りたいんですけど」と相談しに行ったときに「そんなことよりも自分がどういう備えをするかということを教えてほしい」と言われたことがあります。

もちろんそれも大事なのですが、地域のつながりが弱い都市では、自助だけでは限界があります。
自分の努力だけでは解決できない社会全体での課題について、どう乗り越えるか考え、行動できる子どもを育てたいのです。

知識と能力があり、自由で自立した子どもを育て、子どもたちの幸せと同時に、民主主義社会の形成に貢献したい、というのが私の今の時点での「教師になりたい理由」です。

≪参考記事≫

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